ABOUT ME

心と心をつなぐ こころコーチひろこ

1970年生まれ、東京都八王子市在住。
小学校の頃にいじめを受けたことで、全てにおいて当たり障りない距離で関わり、40代になっても繰り返した7回の転職で収入も新人並み、肩書きも、自分の家庭も家族も何もない自分に、深い虚無感に陥る。

そんな時、東日本大震災をきっかけに「自分の人生」を歩んでいる人達との出逢いにより、コーチング、スピリチュアル、カラーセラピーを学び、「自分の人生を自分で歩む」と決断する。ある日、保育園で5歳の子の「僕なんていなくったっていいんだ!」という自己否定の言葉を聞き、子どもの「心」に与える大人の影響について伝えたいという思いになる。

現在は保育園、幼稚園経験20年1500名以上の子どもと100名以上の先生と関わってきた経験を生かし、子どもに関わる大人の「心の在り方」について学べる保育士コミュニケーション講座(NCP)を提供し、人生の基礎となる「乳幼児期」の重要性を伝えるために日々奔走中。


はじめまして、生田ひろこです。

ここでは、全てにおいて当たり障りない人生を送り、
40代でも低収入、名誉、肩書なし、お一人さまの私が
「出逢えて良かった!」と感謝されるように行動できるようになり、
多くの仲間や起業家さん、社長さん達と出逢えるようになったのか?

「これまでの軌跡」を紹介させていただいています。

壁の中から光の中へ

私は現在、現役の保育士を続けながら、保育士さん向けのコミュニケーション講座の講師をしています。

保育士さん向けの講座というと「どうやって子どもと関わるか?」のノウハウのものが殆どなのですが、実際現場で働いていて、私が感じていたのは、ノウハウを学んでも現場で生かすことが出来ていない。ということでした。

それは、実は先生達自身の「マインド」に原因があるということを、私自身の経験から実感し、先生達の「こころ」に重点をおいて、自分と向き合う講座を作りたいと思うようになりました。


今でこそ、こうして明確に自分のやりたいことや進みたい道に進み、愛ある仲間がいて、周りの人に感謝されながら収入を得られるようになった私ですが、以前は、人にも物事にも深く立ち入らないように、そつなく、目立たず、感情を出さずに過ごそうとしていたので、よく「壁を感じる」「冷たい」と言われていました。

友達もわずかで、スケジュール張は仕事の内容だけ、出かける時は、いつでも一人、電話もかかってこない、メールも広告ばかりなので、携帯を携帯してない。

そんな「壁」に閉じこもっていた状態から扉を開き、「光の中へ」と歩むように変われたのか。
気になったなら、ぜひ続きを読んでみてください。

24万分の1の出会い

人生80年として、人が一生で出会う人の数のうち何らかの接点を持つ人は30,0000人だという説があります。現在の世界の人口から換算すると、何らかの接点を持つ人と出会う確率は24万分の1だそうです。

ということは、このサイトで、ここで出会ったことだけで24万分の1の確率です。

私は出逢った様々な人の生き方を見て「自分の人生を自分で歩む」と決めました。この奇跡の確率でこの文章を読んでいるあなたにとっても、ここが「新しい人生」への始まりの一つとなっていくかもしれません。

変化のきっかけ

40歳になった年、私は6度目の転職をしていました。

前の保育園が手取り13万円しかなく、働いているのに貯金がどんどん減っていくという厳しい状況になり、別の保育園に転職したのです。

ところが、当たり障りなくやってきた私でも、その保育園ではなかなか馴染めず日々、足取り重く、キリキリと痛む胃を押さえながら出勤していました。

人生の後半に入るという年齢なのに、まだこんなことをしているのか…と激しい虚無感と、自分が選んできたこととはいえ、なぜいつも同じような試練にあうような所ばかりに来てしまうのか?そんな疑問が心を離れませんでした。

そんな時、子どもをお昼寝から起こそうという時間、激しい揺れが起こりました。


嵐の波にもまれているように左右に大きく揺れる部屋で、子ども達を守りながら「命を守る」ということと共に「自分の人生これでよかったの?」という思いが頭をよぎりました。

揺れが収まって外に避難し、ラジオや防災無線から流れてくる声に、ただ事ではないことが起こったことが判りました。

それが東日本大震災でした。

東日本大震災は、日中、子どものいる施設が開いている時間に、初めて起きた大地震でした。

私は、あの揺れの中で感じたことが、ずっと頭から離れず、現地が落ち着いた頃、実際に現地の先生は子どもをどんな風に守り、保護者に渡したのか?施設はどうなっているのか?いろいろ知りたくて、現地を見て話を聞いてこようと、初めてボランティアに参加したのです。

津波被害にあった女川町
参加したスタディーツアー
石巻の小学校

その時、ボランティアに参加した人達が様々に、その人らしい生き方を歩んでいるのを見て、今まで私が持っていた「自分の思うように生きることは許されない」という考えは何だったんだろう!?と衝撃を受けました。

また、被災された方々の当時の話を直接伺い「いのち」について考えさせられていく中で「今のままではいけない!」という思いが強くなりました。
それをきっかけに、私の中で少しずつ、けれども確実に変化が起こっていきました。

思考のバトル

大きな変化の一つは「出会う人が変わった」ことです。その頃、出会った英語コーチングの先生から聞くスピリチュアルな話は、私に今までとは、全く別の視点を開いてくれました。

そこで知ったのが「潜在意識」や「無意識」の存在と「ザ・シークレット」いわゆる「引き寄せの法則」と「鏡の法則」です。

意識が変わると見えてくるものが違うと言われますが、その頃から、園の中で「集団生活なんだから!」という先生達の声を聞くたびに、心の中にモヤモヤした気持ちの悪い感覚が湧いてきたのです。

それは、自分自身が今まで「自分の思うように生きることは許されない」という「枠」の中で生きてきたことに対し、別の概念が生まれたことによる違和感でした。

「みんなと同じ」であることが「善」
「自分自身」で生きているということは「枠」から外れる。

だからそれはダメだ。騙されるな。

そんな警告が頭の中に鳴り響き

「自分の持っているものなんて、誰にでもあるもので、特別なんかじゃない。」「私の代わりなんていくらでもいるし、1人いなくなった所で、世の中何も変わらない。」

再び元の自分に戻りそうになっていきました。

さらにそれは小学校の時のいじめられた経験を呼び起こし

「あの時、自分を出したせいで、攻撃されたじゃないか。」「また同じことが起こるだけだ。やめておけ」と囁かれるのです。

でも、私の中の新しい光は「それなら、何のために私は存在しているの?何のために生きているの?」と叫ぶのです。

私の思考は「天使と悪魔」の戦いのようにバトルを繰り広げていました。

さらに、現在の状況は「自分の選択の結果である」ということが、頭では理解しても、受け入れるにはかなりの葛藤がありました。

私だってキラキラした生活をしてみたかったし、幸せな結婚もしたかった。
でもそこではなく、こんな寂しくて虚しい状況を自分で選んでいたなんて、思いたくなかった。

今までの自分は何だったのか?
自分がやってきたことは全て無駄だってことなの?

我慢してきたことも、頑張ってきたことも、乗り越えてきたことも沢山あった。それも自分が選んだ苦しみだったの?
何で自分はその選択をしてしまうことになったの?

そんな時さらに、衝撃を受ける出来事がありました。

保育園の5歳の男の子がお友達と喧嘩した後、号泣しながら「僕なんて必要ないんでしょ!」「どうせ僕なんていなくなったっていいんだ!!」と言い放ったのです。

わずか5歳でなんでこんな言葉を口にするようになるんだろう?
衝撃を受けると共に、私も7歳の時にはすでに同じようなことを思っていたことを思い出したのです。

なぜ?いつ?どうして?どこから?
この思いは始まるんだろう?

暗闇の始まり

記憶にある幼い頃の私は、毎日笑って泣いて、世界はワクワクとドキドキと光に満ち溢れていました。

近所の野山で遊び、木苺を食べ、花の蜜を吸い、木に登ってビワを取ったり、時には崖から落ちてしまったり、砂が落ちているのを辿ってトラックの下に潜り込み、頭をぶつけて血だらけになったり、氷の上を走って滑って転んだり、ヒヨコにマジックで色を塗ったり、ハサミで自分の髪の毛を切ったり、それで怪我をしても怒られても、全く気にせず、笑って、すぐにまた新しいことへとチャレンジしていけたのです。

親は、よく私が生まれる前のこと、記憶にない小さい頃の話をよく聞かせてくれて、どんなに私が生まれてくるのを楽しみにしていてくれたか、どんな風に関わってくれたかを伝えてくれていました。生活的にも不自由なく育ち、私は大切にされて、愛情を沢山もらった幸せな子でした。

けれど、何故か7歳くらいの私の心には「気付いてもらえない、受け入れてもらえない、置いていかれるかもしれない」という思いが、すでにしっかりと根付いていたのです。

トップイメージ
天真爛漫な幼い頃
置いていかれるかもしれない
いつしか宿っていた孤独感

ずっと私の記憶に印象にある2つの出来事と2つの言葉があります

熱が出た時に妹と一緒に母が出かけてしまったこと。
何かで父を怒らせた時に泣いて謝っても置いていかれたこと。

「人は一人で生まれて、一人で死んでいくのだから、一人で生きていけるようになれ」「お姉ちゃんは、しっかりしている。頼りになる。」という言葉。

この2つの出来事と話は幼い頃を思い出す時、常に思い浮かぶのです。でも、こういう出来事ってどこの家庭でも一度や二度ありますよね?

自分でもなぜすでに7歳でそんな思いになってしまっていたのか、これが本当の原因であったかもハッキリしません。でも、自分の中に「自己否定」の気持ちがすでにあったことは確かです。

この体験が、今私がやっていることに繋がっていくことになっていきます。

そして、さらにこの「自己否定」の思いを強固にしていく出来事が起こります。
それが小学生の時にあったいじめです。

小学2年生の秋の引越し。
新しい環境にワクワクとドキドキを持っていた私に待っていたのは、すでに出来上がってしまっていたクラスのコミュニティーから異質な目で見られることでした。

1日目でからかわれたり、教科書を見せてもらえなかったりしたことで、私の心は打ちひしがれていました。

毎日とぼとぼと一人で帰る帰り道、それでも前の生活には戻れない。
親に心配をかけるわけにはいかない。

私は理解されるように相手に近づいていくことではなく、自分がこれ以上傷つかなくて済むように全てから距離を置くことを選択しました。

毎日、一人で帰るその道すがら、自分の心を整えて、笑顔で家に帰る。
そんな日々が続いた小学5年生のある日のこと。

転校生がやってきました。

転校生は、早速屋上の階段に呼び出した女子グループによって色々と嫌がらせを言われていました。私は自分の時を思いだし、その子に声をかけ、せめてもの励ましをしました。

それがきっかけとなり、今度は私がいじめの対象になりました。

そのいじめは、目に見えるような暴力や物を破壊したり隠したりということではなく、私がクラスにいないかのように無視したり、グループや組み合わせになるときには必ず一人残されたりするような、心を傷つけるいじめです。

傷つけられる心
気づいて欲しかった
傷つくならひとりでいい

もちろん親には言わないし、先生も気づかない。
けれど、ずっと私は気付いて欲しかったんです。

言わない心の奥を知って欲しかった。

子どもが隠れんぼをしていても早く見つけて欲しくて、ちょこちょこと顔を出したりするように、ちゃんと見ていてくれるということ、判ってくれているということ、知っていてくれるということを確認したかった。

でも、その願いは叶うことはありませんでした。

ここから、人の胸の内は決して他人は知ることはできないということ。
だから分かり合えることはなく、全ての人は結局は一人なんだ。
なら、友達や大人に期待することも、傷つくこともない方法は…。

「ひとりでいること」

それが小学生の私が出した答えでした。

飢え渇く心

大人の支配から自由になるために、私は早く大人になって、自分で働いたお金で好きなことをするんだと、そればかりを思っていました。

目の前に楽しいこと嬉しいことワクワクすることはあったのに、全くそれには気付かず、友人という友人もいないまま、成人になり「これから好きなことができる!」そう思ったのです。

けれども実際にはそう簡単にはいきませんでした。

小さい頃、どこかへ行かないように鎖で縛られていた象は、大人になって鎖を外されているにも関わらず、鎖に繋がれていると思って逃げることもなくなった…。そんな象の逸話のように、私は「当たり障りないようにする」ことに慣れてしまっていました。

この年代に盛んな飲み会や合コンや集まりに行っても、気がつくと一人になっている。2、3ヶ月くらい一緒に出かける人がいても、そのうち自然消滅してしまう。

「壁を感じる」「意外と冷たいよね」「嬉しいのか楽しいのかわからない」「無人島で一人でも生きていけそう」「なんでも出来そう」そんな何気ない言葉が、私をどんどん追い込みました。

私にだって、感情はあるんだよ!
無人島で一人で生きていけるわけないし!
なんでも出来るわけなんてないじゃん!

そんな20代のある日、私は衝動的に自分の腕をカッターで傷つけていました。

飲み会でもひとり
自然消滅ばかり
縛られていた見えない鎖

カッターで紙を切っていたら、ぼんやりと、私が怪我してたら誰か何か言ってくれるだろうか?心配してくれるんだろうか?という思いが湧き、腕にカッターの歯を滑らせていました。

赤い筋がいくつも刻まれていくのを見て、それでも傷つけたのが手首でないんだな…と冷静に見つめている自分がいて、ここでも無意識に歯止めをかけるのかと可笑しくなりました。

私はただ、そういう気持ちを「わかってほしい、受け止めてほしい、ここにいるよって甘えさせてほしい」…それだけでした。

私の心はずっと、いじめられていることを誰にも言わず、一人ぼっちの帰り道の途中に、ただずんだままだったのです。

結局、この出来事も誰にも気づかれずに終わり
私の「判ってもらえない、受け止めてもらえない、置いていかれる」思いは、満たされることはありませんでした。


ここから私は、幼稚園の先生から始まり、設計事務所、派遣社員、不動産の一般事務を経験し、そして再び子どもと関わる仕事、保育園へと7回の転職を繰り返すことになります。

何年かすると急にやる気がなくなり、次の「どこかへ」と行きたくなった理由は、実は「ここでは、わかってもらえない、受け止めてもらえない、甘えられない」という、満たされない心の飢え乾きからだったのだと、今ではわかりますが、その時は何も分からないまま、彷徨っていました。

境界線を越える

東日本大震災後から少しずつ変化していった私ですが、「自分の人生を自分で生きるんだ!」と決心して、今までの自分の境界線を本当に超えた瞬間は、母が突然、ステージ4の癌ということが判明してから、半年後に亡くなってしまった時でした。

その頃「意識」というものの存在を認識していた私は、一生懸命に母の意識を変えようと「自分の思いが大切!」と訴え、私自身の行動や思いも前向きでいることで、母に良い変化を起こさせよう!としていました。でも、そんな思いも虚しく、結果はまるで正反対の方向へと進んで行ってしまった…。

私には、人や物事を変えることのできる奇跡を起こせるような力はないんだ。「心から信じれば山をも動かす」って言うけれと、どんなに信じても祈っても叶わないことがあるじゃないか。

私はまた再び「当たり障りのない」元の自分に戻りそうになりました。

その時、母が癌だと分かった時に「これは神様から来たものなの」と言った言葉が浮かんできました。

同時に、聖書に書いてあった「全ての物事には時がある。生きるに時があり、死ぬのに時がある」という言葉を思い出したのです。

そして、これは「母の人生」であって、母が選択してきた人生の道なんだ。私は私のやるべきことを、できることを精一杯やった。だからそれでいい。そう思えるようになりました。

闘病中、自分の余命を知っている母に「行きたいところ、やってみたいことはない?」と聞いた時「やりたいことは全部やったしねぇ、行きたいところにも行ったから」と笑った母。

私も自分が最後を迎える時「やりたいことは全部やった。そしてこの世界に生まれてきて、私がやるべきことも全てやり遂げた」そう言いたいと思いました。

ビジネスの世界

それから、私は母が病床で「一緒にいてよ」という願いを叶えてあげられなかった働き方に対し、時間と場所に束縛されない仕事をしようと、今まで考えたこともない、経験したこともない、ビジネスの世界へ足を踏み入れていくことになりました。

「良い未来をイメージすれば良い現実がやってくるんだ!」と、理想の未来を描き、ビジネスからコーチング、カラーセラピー、エネルギーワークまで様々なセミナーや教材や学びに、今まで支払ったことがない数百万円の投資をしていきましたが、今まで、全くビジネスの「ビ」の字も知らなかった私は、ただただ周りに圧倒され、何が何だかわからないまま、あっという間に3年が過ぎ、学び始めた状況から変わるどころか、支払いが増えていくばかり。

しかも、ビジネスの方に時間がかけられるように、正規職員からフルタイムパートに変わったことで、月の収入もさらに減り、貯蓄も底をつきかけていました。

うまく行かない
貯金は減るばかり
先行き見えない

暗闇から光へ

そんな時に、ビジネス塾で出逢った方がお話ししていた「時間と場所に縛られない働き方」を実現させる内容に心を惹かれて、個別相談を受けました。

これでダメなら終わりにしようと決心して飛び込んだ、この方こそが、この後、私のビジネスを導いてくれる最強のメンターとなりました。

この出逢いをきっかけに、今までやってきた学びや経験がパチパチとパズルのピースのように組み合わされ始め、今では私の周りには、私を助け励ましてくれる多くの仲間がいてくれるようになりました。

そして、今まで保育園・幼稚園20年、1500名以上の子ども達、100名以上の先生達に出会ってきた経験から、保育士さんのためのコミュニケーション講座(NCP)を提供することができ、沢山の感謝の言葉を頂けるようになりました。

今は、さらに心を深く学べるコンテンツや、個別コーチングなどを展開する準備をしています。

私は気付いたのです。

私は表面的には恵まれ、愛情を受け、大切にされ、人とも物事とも当たり障りなく上手くやってきていましたし、いじめにあっても、仕事においても、力による暴力や傷を受けたことはありませんでした。でも、それでも心には傷があり、不安で寂しくて、虚しさに苛まれていました。

その経験は「目に見えるもの」ではなく「目には見えないもの」への興味と関心を湧き起こさせることになりました。そして深い潜在意識を作る6歳までの子ども達への心の育ちが、いかに重要で大切なのかということを自分の経験においても体験してきたのです。

私がビジネスの世界に踏み入れた時、ビジョンとして掲げた「魂の色で輝いて生きる環境を作る」も、目に見える環境ではなく、目には見えない「心」の環境にフォーカスしたものでした。

私が「暗闇」と思っていた世界は「光」へと通じる道だったのです。

私からあなたへ

他人からは幸せそうに見える人も、心の中は本当はどんな思いを抱いているのかわかりません。

そして、当の本人でさえも、自分がなぜか毎回同じ選択を繰り返し、なぜか同じ状況になり、なぜか同じことに悩むというサイクルを繰り返してしまうのか、その理由が分からないまま「これが自分だ」と思ってしまっています

私は多くの人との出逢いをきっかけに、そこに気づくことができました。

その中でも私の話に耳を傾け、受け入れてくれた方々の存在が「判ってもらえない、受け入れてもらえない、置いていかれる」という私の心を優しく満たしてくれました。

今では、全てが必要なことだったと受け入れて、感謝できるようになったのです。

そして「私はなぜ生まれ、生きているのか?」という疑問も、私の全ての経験を通じて、私と同じような思いを抱いている誰かを、私が助けていくためだ。そう思えるようになりました。

もし私と同じような経験をしてきていて、悩んだり、苦しんだり、踏み出せなかったりしている方が、私と関わることで、自分の人生を肯定でき、自分の思う未来へ踏み出せだせるきっかけを作れたとしたら、今度は、その方が他の誰かを助けていけることになります。

そしてまた、バトンは次の誰かに引き継がれ、繋がっていくのです。
私は、この循環と調和の世界を広げていきたいと願っています。

あなたが今の自分から変わりたいと思っているのなら、私に手助けをさせてください。

私はいつでもここにいます。
あなたに出逢えるのを待っています。